包括的な難民受入体制の確立を

NPO法人アルペなんみんセンター 有川憲治

世界の難民は7,950万人 10年前の約2倍に急増

 2019年末時点で、世界の難民は7,950万人。10年前(2010年4,100万人)から約2倍に急増している。全人類の1%以上、97人に1人が強制移動の影響を受けており、出身国へ帰還できる人も年々減少している。(2020年6月UNHCR)。

 十分な医療体制の整っていない難民キャンプの中で、新型コロナウィルスの爆発的な感染リスクに多くの人々がさらされている。

入国拒否され、送還される難民

 日本にも年間1万人を超える難民が希望をもってやってくる。「経済的に豊かな国ニッポン」、「平和な国ニッポン」、「マダムサダコ(元国連高等弁務官・故緒方貞子さん)の国ニッポン」、「おもてなしの国ニッポン」。日本に行けば迫害から逃れて人間らしい人生を取り戻せると期待して、空港に降り立つ。

 しかし、その期待はすぐに裏切られることになる。空港で庇護を申し出ると、難民認定申請手続きではなく、日本に難民申請手続きのために入国させるかどうかの手続き「一時庇護上陸許可申請」手続きが先行される。日本が難民条約に加入した1982年から2018年までの38年間で836件の一時庇護上陸許可申請があったが、許可されたのはわずか66件のみだ。

 空港で難民として保護してほしいと訴えると、難民申請すらできずに、入国を拒否され送り返される。それでも、庇護を訴え続けると「速やかに出国しない場合」として退去強制手続きが取られ、入管施設に長期収容されることになる。

入国拒否されたRさん

 本国で政治活動を行った際に、当局による身体的な迫害をうけ、命の危険を感じ出国。日本を選んだ理由は、高校生のとき、日本のことを学ぶ機会があったからだという。先進国で平和なイメージ、ビザもスムーズに取得できたという。飛行機を4回乗り継いで、ようやくたどり着いた日本、入管職員に庇護を求めた。取得してきたビザの目的と入国の目的が違うとのことで、2日間空港内の施設に留め置かれた。3日目に、出国を迫られ、拒否すると、さらに2日間空港内の施設に留め置かれた。最終的に入国施設に移送される。

 他の収容者から、一時的に収容を解かれる仮放免の手続きがあることを教えてもらい、面会ボランティアや支援団体に仮放免を相談。しかし、仮放免には、身元保証人、住居、保証金(法律上の上限は300万円。運用上は、1〜30万円)が必要だと知るが、保証金のための所持金はなく、保証人をお願いできる知り合い、住居のあてもなく、時間だけが過ぎていった。

 面会ボランティア経由で相談した弁護士に身元保証人を引き受けてもらい、2度目の仮放免申請で許可がおりた。収容期間1年6ヶ月。自由の身となったが、仮放免者は在留資格がなく就労許可がでないため、働いて自立することもできない。

 経済的に困窮する難民申請者への公的な支援の窓口、難民事業本部(外務省の外郭団体)に電話をして、相談予約をするためだけに1週間。申請書が郵送されてくるのにさらに1週間待たされた。しかし、申請書を送り返して、1ヶ月以上過ぎても連絡がない。収容中と同じ、ただ、待つだけの不安な日々が続いている。

ホームレスになる難民たち

 空港で無事、入国許可がおりた場合、入管での難民申請を行うことになる。在留資格が取得できた場合、例外はあるが、就労資格が得られるのは申請から8ヶ月後。それまでは、所持金と外務省の保護費、市民団体からの支援で命をつなぐことになる。

 外務省の保護費は、申請から数ヶ月後からの支給。不許可になる場合も多い。4ヶ月おきの見直しで、突然、支給されない場合もある。緊急シェルターは、数に限りがあり、所持金もなくなり、保護費を受けられなく、路上生活を余儀なくされる場合もある。中には、1年以上、ホームレス生活をした難民もいる。

 そのような状況でも、入管への定期的な出頭、長時間のインタビュー、難民を立証するための書類の提出が求められる。生活基盤が脆弱ななか、書類等の作成に十分な準備ができず、結果として難民不認定になるケースも多い。

2011年 国会決議の実現を

 2011年11月、1951年の「難民の地位に関する条約」採択から60周年、また日本の同条約加入から30周年を記念して衆議院、参議院の本会議全会一致で「難民の保護と難民問題の解決策への継続的な取り組みに関する決議」が採択された。

 「国際的組織や難民を支援する市民団体との連携を強化しつつ、国内における包括的な庇護制度の確立、第三国定住プログラムの更なる充実に向けて邁進する。同時に、対外的にも従来どおり我が国の外交政策方針にのっとった難民・避難民への支援を継続して行うことで、世界の難民問題の恒久的な解決と難民の保護の質的向上に向けて、アジアそして世界で主導的な役割を担う」と決議され、日本の難民政策が大きく変わると期待された。

 残念ながら、決議の多くは未だ実現されていない。国会決議当時4,250万人だった世界の難民は、2018年には7,080万人。毎年増加し、難民をとりまく状況は、深刻さを増している。

アルペなんみんセンター開所

 2020年4月に、神奈川県鎌倉市にアルペなんみんセンターを開所した。カトリック教会の修道会イエズス会が建物敷地を提供し実現した。以下の3つの活動に取り組む予定である。1つ目は、シェルターの提供。希望をもって来日した難民が、路上生活をせざるをえない現状の改善と、入管収容にかわる「収容代替措置(Alternatives to Detention)」の受け皿の提供。2つ目は、難民と日本社会をつなぐ場の提供。2018年国連総会で採択された「難民に関するグローバル・コンパクト」には、難民支援には多様なステークホルダーの参加が求められている。多様なステークホルダーが難民と出会い、その出会いを通して、難民が地域で安心して自立した生活ができるように努めていく。3つ目は、国際的な連携・連帯。センターの名称「アルペ」は、イエズス会の元総長で、インドシナ難民の惨状に対応するために「イエズス会難民センターJRS」を設立したペドロ・アルペ神父に由来する。JRSは、現在世界56カ国で難民支援をおこなっている。そのネットワークを通して、長期の仮放免者が、日本以外で新しい生活が始められる可能性を模索していく。

 新型コロナウィルスの影響で、国際的な移動が制限され、新たな難民申請は激減すると思われる。その間、「国内における包括的な庇護制度の確立」を多様なステークホルダーとすすめていきたい。

Mネット2020年6月号より転載

難民の保護と難民問題の解決策への継続的な取り組みに関する決議

 2011年は、1951年の『難民の地位に関する条約』採択から60周年、また日本の同条約加入から30周年という節目の年にあたる。特に、日本は条約加入後、今日に至るまでの30年間、国際社会の一員として世界中の難民や避難民の支援に臨み、人間の安全保障の概念を強調することによって、難民それぞれについて人道支援と平和構築を中心に据えた取り組みを行ってきた。2010年にはパイロット・ケースとしてタイからミャンマー難民を受け入れるプログラムも開始され、アジアで初の第三国定住による難民の受け入れ国となった。

 また国内においては、庇護制度の充実・発展を目的として、難民認定審査の透明化、効率化に力を注いできた。

 このような過去の実績と難民保護の国際法及び国際的基本理念を尊重し、日本は国際的組織や難民を支援する市民団体との連携を強化しつつ、国内における包括的な庇護制度の確立、第三国定住プログラムの更なる充実に向けて邁進する。同時に、対外的にも従来どおり我が国の外交政策方針にのっとった難民・避難民への支援を継続して行うことで、世界の難民問題の恒久的な解決と難民の保護の質的向上に向けて、アジアそして世界で主導的な役割を担うべく、右決議する。

(第179回衆議院本会議、決議第二号、2011年11月17日可決 及び 第179回参議院本会議、決議第一号、2011年11月21日可決)

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